1721年(享保6年)- 1792年(寛政4年)
1743年(寛保3年)に駿河国原宿の松蔭寺の白隠慧鶴に初めて相見する。
松蔭寺には多くの修行僧がいたが、東嶺の資質は際立っており、直ぐに侍者を命じられる。
1749年(寛延2年)、東嶺29歳の時に白隠慧鶴より印可を受ける。
1760年(宝暦10年)東嶺は三島の龍沢寺に入り
1769年に白隠が遷化するまで手足となり支え尽した。
白隠の寂後、龍沢寺の住職として多忙を極めていたが、1776年(安永5年)、
56歳の時に龍沢寺に火災があり、これを再建するには多大な苦労があったが、
遂翁元盧等の協力もあって再建した。