波乱人生の画家、人見友紀 油彩画の買取り
本名・人見安雄
「富士山」 油彩十号
美術窃盗団の一味として警察から追われ昭和48年12月に香港に逃亡。夫人とともに、アジアからヨーロッパの国々を転々としてギリシャに定住した。その地で昔から好きだった油絵を始めたところ、見る見るうちに上達。地元紙にも紹介されて、一躍人気画家となった。しかし、罪の意識と望郷の念から61年9月、アテネの日本大使館に出頭。大阪空港で窃盗容疑で逮捕され、福井刑務所に服役、平成元年1月に仮出所した。その後、両親の疎開先だったという美濃市に落ち着き、画家として活躍する一方、岐阜、愛知県で5つの画廊を経営。
人見友紀氏は、「逃げているときは、靴を履いたまま寝たことも。今では、朝はホッとした気持ちで目覚めます。波乱万丈でしたが、今では第二の人生を歩み、幸せです」と述懐。
(読売新聞平成4年3月13日記事より)