山本玄峰 掛軸

山本玄峰

幕末の慶應2年生まれの臨済宗妙心寺派元管長

三島市 龍沢寺

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先日、入荷した般若窟 山本玄峰老師の一行書です。

九四歳、最晩年の書の共箱付き
老師の書で、共箱付きはかなり珍しいと思います。

『 山 花 開 似 錦 』

何事も自然のまま いつの世も変わることはない。
仏法も同じことで何百年何千年前からの教えが現代でも変わらず確固として生き続けている。

三島市龍澤寺と言えば、どなたもご存じの昭和を代表する名僧を思い出します。
何故、大勢の人に慕われ尊敬されるのでしょうか。

自らの心、精神、身に鞭を打ち想像を絶する修行を連日連夜、何十年と続け、耐え抜いて来たから出来た精神力・・・
何も語らなくても、身から出て来るオーラ、重み、深みが有るからと思います。

文献によりますと修行とは、
『精神を鍛える事』と、有ります。
財産、金、、富、名誉、性欲、怒り、恨み・・を、自身から完全に切り離す。
ただ、生きている事だけに感謝。
人の悩み事にも一緒に悩み、手を差し伸べ施しをしても、見返り等を期待する心が一切ない。

ただ、上辺や外面だけではなく、自分自身に一切の偽りがなく長い年月をかけ修行に耐え抜いてきた人の言葉にはやはり、深い味わいや重みがあると思います。

玄峰老師は荒廃した数多くの寺を再興し海外布教にも力を尽くしました。
終戦時の玉音放送「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」のお言葉を時の総理大臣鈴木貫太郎に進言し、天皇は日本国の象徴と、発案するなど政界を始め各界からの相談も多く受けています。
後に、三島市の龍沢寺の住職となり96年の生涯を、その龍沢寺で閉じました。
中川宋淵は老師に師事し、後を継いでいます。

一気に書き上げた老師らしい力強い筆運び。

 

短冊幅仕立 「東山水上行 八十五翁」

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